CONCEPT
川端康成さん、三島由紀夫さん、池波正太郎さんをはじめ数多くの作家の方々に愛され、
定宿としてご利用いただいた山の上ホテル。瀟洒なしつらえと、温かく行き届いたサービス。
洗練された味の世界は、今なお、多くの文化人を魅了し続けます。
「東京の真中にかういう静かな宿があるとは思わなかった。
設備も清潔を極め、サービスもまだ少し素人っぽい処が実にいい。
ねがはくは、ここが有名になりすぎたり、はやりすぎたりしませんやうに」
出版社の多く建つ神田・神保町に近い立地もあり、創業当初より作家の方々が、所謂「カンヅメ」で執筆活動をされるためにお泊りいただくことも多くありました。
メールもファックスもない時代には、締切前になると、ホテルロビーには原稿を待つ出版社の方々で溢れかえっていたそうです。
また、かつて芥川賞を受賞した作家たちがほとんどここで受賞後第一作を執筆するという「文化人のホテル」としても知られます。
物書きには面倒見のいい宿が必要である
いつの頃からか、山の上ホテルには物書きが泊まるようになった。
彼らは執筆に追われカンヅメになっていたのか。どうやらそれだけではないらしい。
あるものは書斎のように、またあるものは別荘のように、
宅では享受できない、第二の日常を送っていたようだ。
食べることが好きで始めたホテルでした。いつもおいしいものをお出しできること、
気持ちよくくつろぎ、寝んでいただけること。これがホテルづくりのポリシーでした。
よいホテルというのはわが家のようでなければいけない。
わが家へ帰ったようにくつろげなければ、よいホテルとは言えません。
あえて時代とともに変わらないホテルが、山の上ホテルなのです。
客室数は35室。どれひとつとして同じレイアウトの部屋はございません。
客室にぬくもりを与えるホテルオリジナルの桜の木肌を生かした家具、手塗りの漆喰壁、ビロード地のカーテン。
坪庭つきのスイートルームに、畳の部屋にベッドを置いた和洋折衷の部屋など、個性的な客室を有しております。
山の上ホテルは"おいしいもの"の宝庫。"名人"が良い材料を見分け、仕入れ、見事な腕で料理する。
7 つの本格レストラン&バーには7人の名人がいる。
小さなホテルがこれだけのレストランを抱えるのは異例中の異例、
"ほんとうにおいしいものを召し上がっていただきたい"と願う心は、
学生から「食通」まですべてのお客様に向けられ、その美味求道は特異ともいえる個性的なホテルを誕生させました。
ホテルの良さは設備や装備だけでなく、「温かい、さうして出しゃばらないホスピタリティの程度に係るのだ」とおもひます。
ですから我々は「心に沁みいる見えないサービス心」や「手作りのぬくもり」をなにより大切におもい、ひとりひとりのお客様と向き合います。
ホテルのシンボルとも言えるアールデコ様式の建物は、建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏の設計による。
この建物は日本初の美術館である東京都美術館を寄付したことで有名な九州の石炭商佐藤慶太郎氏が設立。
「佐藤新興生活館」として完成した。当初は財団法人日本生活協会の管理下に置かれ、
西洋の生活様式、マナー等を女性に啓蒙する施設として利用されておりましたが、
太平洋戦争中には帝国海軍に徴用、日本の敗戦後には連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に接収されて陸軍婦人部隊の宿舎として用いられました。
ホテルとしての開業は1954年(昭和29年)1月20日。
GHQの接収解除を機に、山の上ホテル創業者 吉田俊男が同財団から建物を譲り受け、ホテルとしての営業を開始いたしました。
創業時、戦後復興間もない東京には、わずか4~5つのホテルがあるだけで、ホテルと言いましても普通一般の人々にはなじみの薄い、縁遠い存在である時代です。
アールデコとは1920年代のパリで生まれた折衷的装飾様式。
幾何学モチーフや直線、波線形が多用されているのが特色で、クラシックでありながらどこかモダンな雰囲気を持ち合わせます。
正面から見て左右にセットバックされた外観、立体的な塔のジグザグファザード、螺旋階段、さりげない意匠が、ここにしかない特別なホテルを飾ります。